ぶどうのえだ歯科院長

わたくしは、歯科医師になる前には、歯科技工士でした。

18歳で技工士学校に入り、26歳で歯学部に入学いたしました。普通の歯科医師への道と異なります。あっちへぶつかりこっちへぶつかりの、たんこぶだらけの少年時代でした。19歳から26歳まで、その間の7年間は、わたくしにとりまして生涯の宝物の7年間でした。

この7年間の中でほんとうにたくさんの良い経験をしました。今あるのは歯学部入学前のこの7年間に出会った、数えきれないほどのいくつもの新しい自分によって支えられています。

【略歴】

1961年 新潟県長岡市に生まれる
新潟県立長岡高等学校卒業
新潟大学歯学部付属歯科技工士学校卒業
新潟大学歯学部卒業

『人生は「出会い」で決まる』

ほんとうに、つくづくそう思います。今までの数えきれない出会いでわたくしはたった一回しかないこの人生をよく考え、いまに至っています。

いろんな経験をしましたが、その時その時で最善な決断を、大きなことも、小さなことも、その時それを選んだそれがその時の最も自分に合っていた選択、という連続で、今に至っています。

自分の力ではどうしようもない、家族との別れという経験、心細くて悲しくて、つらい、そういうこともありました。深い深い悲しみのその重さに押しつぶされ、人との関係も、本音で語れる相手を見つけることができなかったです。この世は何事もない明るく見てくれのマズくない、そういうものでないとその先がない、といったような、そんな中で生きざるを得なかったからです。仮面をかぶって生きているような、そういう時間が長かったでした。

わたくしが笑顔で過ごせるようになれたのは、10代の終わりに聖書に出会ってからです。冷え切ったわたくしの身体にまるで稲妻が走るような、それ以来、温かい血が体の中に注がれてくるような、そんな経験をし、今に至っています。わたくしはほんとうに、今こうして生きていることがうれしいです。このように変えてくださった神様に、感謝しています。

こうして生きていられるだけでわたくしはしあわせです。医療という仕事は正直申し上げてつらく苦しいことも多いのですが、日々遭遇する出来事で経験を積み、きのうよりも今日、今日よりも明日、というような、わたくしという一人の人間が、右肩上がりで完成に向かっているような、そんな受け止め方をして日々を過ごしています。正直つらいことが今までたくさんありました、でも、いまではどれもみんなわたくしならではの、かけがえのない、良い思い出です。

わたくしは幼少時に母を離婚によって失いました。父はというと、精神病を患い闘病、療養の甲斐なく入院先の病院の屋上から身を投げて自死、わたくしが10歳の時でした。以来祖父母のもとでわたくしは養われ、日々心細くまた寂しい、家族のだんらんも味わえない中での幼少時代でした。どうにかこうにか小・中・高と進みましたが体と心がバランス悪く成長したように思います。でも自分ではどうにもできませんでした。

虚弱な体調、家族の崩壊、将来への漠然とした不安と絶望感、これらが入り混じって高校を終えました。転機が訪れたのは19歳の時でした。下宿していたところから歩いてほどないところにあったキリスト教の教会に出会い、そこからわたくしは変えられ、現在に至っています。

とかくこの世の中は合理性の先立つ動きが目立ちます。きれいなものは受け入れられ、汚いものはふたをされる、「強きが弱きを守る」というのでなく、強きが残り弱きは静かに去れ、があちこちで横行しています。ほんとうにそうでしょうか。

幼少時にまったく元気を失っていたわたくしは、愛を知らずに(気づけずに)育っていきました。今こうしてあるのは、聖書の神様の愛を体験的に知ったからこうして生きていられます。それは、強いから生き残った、ではなくて弱くて弱くてしかたがないんだけれども、とるに足りない、小さな小さな生き物なんだけれども、神様は、自分に目を留めてくださった、それを体験的に知った、神様は愛の神様、自分は神様に愛されている、それがほんとうにうれしい、そう思えるのでこうして生きています。じめじめしてしおれていたそれまでの生き方が、180度変えられて全く生まれ変われました。いまわたくしがあるのは、神様の愛の中で生かされているからにほかなりません。

離婚して苗字が旧姓に戻った母も今はもういません。母も若くして精神病に陥り、最期は認知症を患い、収容先の病院で亡くなりました。そういう両親でしたので、わたくしは教会に出会って神様から生きる勇気をいただいてからは、実は歯科医師を目指すのではなくて、精神科医を目指すようになっていました。昼働いて、夜勉強、毎年毎年受験するというわけにもいかず、結果的には医学部を受験はするも、受からず、そう繰り返し繰り返し何年も受験するなど年齢的にもできず、併願で受けた歯学部におさまった、という次第です。

治療の様子昼働いて、夜勉強、本当にそんなことで大学に合格することなど、できるのか?しかも劣等生だったわたくしが。高校を卒業して大学に入るまで、7年かかりましたが、わたくしにとりましてはかけがえのない、良い思い出になっています。レストランの皿洗い、焼き肉屋、百科事典のセールスマン、ビラ配り、ケンタッキー・フライド・チキン、喫茶店のカウンターマン、家庭教師、新聞配達、土方、新潟市役所の臨時職員、日通のペリカン便、などなど、いろいろやって、生きるのに必死でした。1年必死で勉強しても模試で偏差値が届かず受験をしない、という年もありました。学力と年齢の面でもう医学部はあきらめざるを得ず、併願の歯学部に何とか引っかかった、そんな歯科医師、歯学部のスタートです。

わたくしはそのようなわけで、普通の歯科医師とは普段考えていることが違う、と自分でも思っています。

弱さとは、生きる(生き抜く)とは、社会と自分、いのち・人の一生、病気、健康、しあわせ・ほんとうのしあわせとは、などについて深く考え始めることになりました。それは今でも続いています。

そして、この地上での役目を終えて天国の神様のところに帰る日まで、ずっとこれからも続くと思っています。

悩み多い人は傾向的にお口の中も荒れている方が多いですね。そう思います。もしわたくしでよろしければ、ご相談ください。

 

院長の活動

院長の活動

当院の院長は、・認定NPO法人 グリーフ・ケア・サポートプラザ ・社会福祉法人 いこいの運営に微力ながら携わっています。